タムタムの『NY便り』 1997年12月



No.52
1997/12/05(Fri)
香港日本旅行記1

実は、12/5より日本に帰国しています。
恐らくこれをアップする頃は、香港でしょう。

今は、NY→NRTの飛行機の中です。
横で女房が熟睡。息子はアイマスクで遊んでいます。
息子が暇そうなので、「コックピット見学できませんか」と聞いたところ、着陸後しかだめだそうです。残念。

********************
ここ数日、本当にばたばたした。
今まで仕事をさぼっていた分の「つけ」と、クリスマスカードの用意。
転勤通知に続き、手紙ばかり書いている。

結局、郵便局の在庫を全部買い占めたのだが、切手の数が足らず、80通ほどは日本で出すことになった。

また、写真の焼き増しも間に合わず、ネガを持ち込み日本で出すことに。

9時に予約したタクシーが到着。
ごそごそとのんびりしていたらクラクションを鳴らされた。
あわてて外に出ると、「いらっしゃらないのかと思いクラクションなど鳴らしてしまい申し訳ありません。」郊外は丁寧だ。

無事JFK空港に到着、チェックイン。今回はUA。実はマイレッジを使ってアップグレードを狙ったのだが、格安航空券はだめになっており、ちょっと失敗。でも、香港まで行った方が東京往復より安いのは魅力だ。
子供の分のマイレッジカードもその場で作る。

飛行機を待つ間30分ほど朝食を摂る。
私はスターバックスコーヒーにマフィン。

飛行機に乗り込む。
やけに男性のクルーが多いなと思ったら、なんとエコノミー担当は全員男性だった。でも、皆さんとても丁寧でなかなかよかった。
(途中の交代で女性も出てきたが、通路を走るな!!)

子供の歳を聞かれ、おもちゃとライフベストを貰う。
ジュースを頼むと「特別サービスだよ」と、小さなドライアイスを入れてくれた。なかなか楽しい。

食事はそれなり。ビーフよりチキンのほうがよかった。
子供用はなんとマクドナルド!!
そして、コーヒーはスターバックス。
一昔前はコロンビアコーヒーだったのだが。

あと、日本語の機内放送がよかった。(これは女性)
「機内でお役に立てることがありましたらいつでもお申しつけ下さい。」
機内にとどまらないお願いをする日本人が多いのだろうか?

映画は3本。ただ、アクションものというか、少しきつめのものばかりだったのであまり見なかった。
SFX使うとどれも同じに見えてしまう。

息子はバットマンの最後の方だけ音なしで楽しんでいた。
到着2時間前に息子は沈没。飛行機に乗って10時間起きていたことになる。
最後は散歩に行ったり、トランプしたりと、親の方が疲れた。眠いのに〜




No.53
1997/12/06(Sat)
香港日本旅行記2

今日は気流が弱く予定より1時間半前に着いた。これなら伊丹空港行きの飛行機に間に合いそうだ。女房が宅急便の手配をしている横で国内線の予約をした。これで京都到着は2時間は違うだろう。

私だけ国内線に乗る。
京都到着は8時前。今日は友人の結婚式があったのだ。
残念ながら披露宴は昼に終わっており、仲間が待っていてくれた。

日本初日の夕食は、つまみのナッツと牛の串焼き(3本)だった。




No.54
1997/12/08(Mon)
香港日本旅行記3

月曜日に新幹線で東京へ。
御堂筋弁当を食べ、昼寝の後アイスクリームを食べた。
新幹線に乗るときはなぜかいつもこうなる。

秋葉原へ行く。
今回の旅行の目的の1つがリブレットのHDの換装である。
データ転送が面倒なので全部やってくれるところを探すつもりだったのだが、なかなかうまくいかない。
最初にアイ・ツーに行く。なんと、大阪でしか受けられず、東京だと2週間かかるらしい。話にならない。次にワークビットに電話する。1週間かかるそうだ。

少し風邪気味なこともあり、暗い気持ちで眠りにつく。
夜中に目がさめるが、今回は時差ボケを直さないために自然体で起きていることにする。子どもまで起きだしそうになり少しあわてた。




No.55
1997/12/09(Tue)
香港日本旅行記4

火曜日。
午前中はこれも目的のひとつである、コンタクトの検診に行く。
購入後、1年たったところで新品に交換してくれるサービスも受ける予定。
NYに来てから目がずいぶん悪くなったので、非常にラッキーである。
このサービス買って1年経つと失効してしまうため、金額的にも大きい。

ところが、意外に目は悪くなっていなかった。
車を運転することもあり、それでも度数を1つあげてもらった。

それから子どもの検診に行く。
お医者さんにはずいぶんなれているのだが、血液検査はダメ。今日も泣き叫んだ。

ホテルに戻って私だけ昼寝をし、NIFTYのオフの会場に向かう。
2次会は六本木へ。何年ぶりだろう?

門限すぎた宿に戻る。
今回は締め出しをくわず、助かった。




No.56
1997/12/10(Wed)
香港日本旅行記5

水曜日。
午前中、息子が載った広告をもらいに高島屋の写真屋に行く。
運良くカメラマンが店にいたので写真を何枚か撮ってもらった。
今回はサービスだそうだ。ラッキー!

それから家族と別れ、友人にご紹介してもらったマクサスにリブレットの相談に行く。
1日でやってくれるそうだ。
早速持っていくと、リブ20のアプリモデルは圧縮がかかっているためデータ転送が難しく、普通はやらないそうだ。
なんでもよいのでと、無理矢理お願いして宿に戻ったら案の定電話がかかってきた。データ転送がうまくいかないらしい。いろいろねばった結果、必要なデータを指定して、転送してもらうことになった。
残りは調べながら自分でやらなければならない。




No.57
1997/12/11(Thu)
香港日本旅行記6

木曜日。
午前中、荷物が多くなったので家族に箱崎までつきあってもらう。
昼前にチェックイン。身軽になって秋葉原へ。
その途中、なぜか大手町でそばを食べた。

結局、かなり高くついてしまった。HDはとても安かったのだが(800Mで24千円)、手数料をかなりとられた。ある程度覚悟の上とはいえ、データ転送できなかったため、WINDOWSインストールにまで別途料金取られたのはちょっと誤算だった。(アプリモデルを入れてくれていたので、全部バージョンアップしたのはラッキーだったが)

その後チチブ電気に行き、いろいろ教えてもらう。
先に行っておけばよかった。
どうも、新しいHDの初期化さえできていれば、HD外付けキットを買うことにより、かなり簡単にデータ転送ができるようだ。HD外付けキットと小物をいくつか買う。

そして箱崎経由で成田へ。
今回の日本では本屋に行く暇がほとんどなかったのが少し残念だった。

飛行機は結構すいており、非常口横(もちろん右側)の席は私だけだった。
早くチェックインしたが拍子抜けだ。

香港人クルーが多い。皆さん非常口前にはスペースがあるため、集まってはおしゃべりしている。

今回、香港カーブ?はあまりカーブしなかったような気がする。
なんだかななめに真っ直ぐ入ったような・・・・・
いずれにせよ、香港在住時には気にも留めなかったことだ。
むしろ、今回は、香港島上空を飛んでいるときの方が感慨深いものがあった。





No.58
1997/12/12(Fri)
香港日本旅行記7

金曜日。
リブレットの新しいHDのセットアップに手間がかかった。
結局、昼までかかってNIFTYだけにはなんとか繋げられるようになった。おかげで朝食はバナナ1本。実にもったいない。
ちなみに、YMCAからはアクセスは本当に簡単。

昼はシティーホールの飲茶。
オフィスに顔を出し、夜は久々の麻雀屋。
この味は、香港以外では食べられない。
いやいや、こんな贅沢はない。




No.59
1997/12/13(Sat)
香港日本旅行記8

土曜日。
朝は羅富記で、雲呑麺と粥。この雲呑もNYではなかなかない。

昼はまた飲茶。
福建炒飯を食べた。これも・・・・・

食後歴史博物館に。
離港前に一度いきたかったのだが、時間がとれず気になっていたのだ。

これから、昼寝をして、オフです。

お休みなさい。




No.60
1997/12/13(Sat)
香港日本旅行記9

皆さん、こんにちは。タムタムです。

♪これから、昼寝をして、オフです。

目が覚めて、時計を見た。なんと7時!!
あわてて走ってレストランへ。
YMCAの便利さを痛感した。

ここの北京ダックもかなりいけましたが、鶏肉は絶品。NYでは絶対に食べることのできない味。




No.61
1997/12/14(Sun)
香港日本旅行記9−2

翌日は、宿で朝食を食べ、タクシーで機場へ。
今、成田行きの飛行機の中です。
サラダが温野菜になり、バターが油と化しているのには驚きました。
ナイフ、フォークはしばらく触れませんでした。
文句を言ったら新しいバター(たぶん、ビジネスクラスの)を持ってきてくれました。

うまくいけば、成田でアップします。




No.62
1997/12/14(Sun)
香港日本旅行記10

皆さん、こんにちは。タムタムです。

♪うまくいけば、成田でアップします。

運良くアップできました。

今回は、もう少し、成田行きの飛行機の話です。

リブレットでメールを書き始めたところ、隣のアメリカ人がいろいろと聞いてきました。
最初の質問はCPUです。私は、CPUよりHDの方が大事だと思うのですが。
彼は、リブがもう少し小さければ爆発的に売れるだろうと、言っていました。
ふと見ると、(恐らく)シャープのWIZARD?らしきものを持っていました。

値段を聞いてきたので、70の値段を教えたところ、
得意げに「アメリカの方が安い!」
「それはきっと古いバージョンだよ」と、親切に教えてあげました。
これもアメリカ人の悪い癖です。

香港ポスト(日本語)を読みはじめると、
「この記事はどちら向けに書いてあるのか?」
「上から下に書いあるところと、左から右に書いてあるところがある」
「日本語か?」
「そうだ。でも漢字は中国語と同じだ」
「えっ?」
「日本は昔漢字を輸入したんだ」
「数字は(英語と)同じだな!」
「・・・・」
面倒なので漢数字の説明は省略しました。

しばらくして、本を見せてくれ
「これは****語だが、右から左に書くんだ」
「そう言えば、日本語も昔はそうだった。」
「きっと、現代スタイルに変えたんだろう!」
「そうかな??」

最初、ヒンズー語かと思ったのですが、どうもヘブライ語だったようです。
たぶん、ユダヤ人なのでしょう。




No.63
1997/12/14(Sun)
香港日本旅行記11

先ほど家に帰りました。
な、なんと、雪が積もっています。
早速雪かきです。




No.64
1997/12/18(Thu)
FRB(NY便り50)

久しぶりのNY便りです。

先日、FRBで会議(説明会)があり行ってきました。
ウォール街、なかなか格好がよいですね。
で、FRBに着いたのですが、入り口がわかりません。
「入り口は反対側」という看板を頼りにいっても職員出入り口しかにのです。
仕方がないので中には行って聞いたところ、「まぁ、中に入りなさい」と、入れてくれました。
エレベーターにのせてくれ、1階上が一般入り口。そこで降りてX線検査を受けなさいということでした。
帰りに見たら、「身体障害者入り口は反対側」でした。ヘヘ

入るのにX線検査を受けさせる厳しさと、とりあえず入れてくれる融通?。
アメリカはおもしろい国です。




No.65
1997/12/18(Thu)
事件(NY便り51)

休暇を終え、香港から帰ると職場の周囲が変です。
道路全体を工事用の足場が囲み、通行止めになっています。
なんと、ビルの外壁が崩れてきたそうです。
近所の低いビルも全員立ち退き、警官がうじゃうじゃいます。
NYタイムズにも特集記事が出ていました。
まぁ、裁判になるのでしょうね。




No.66
1997/12/19(Fri)
プラザ(NY便り52)

先日、プラザホテルでパーティーがありました。
プラザに入るのは生まれてはじめてです。
ジャズの生演奏があってなかなかよかったです。
料理はそれほどなかったのですが、北京ダックに蝦餃に春巻がありました。
北京ダックはまあまあでしたが、香港に行ってきたばかりですからね・・・

今週は時差ボケか疲れか、帰りの電車で必ず居眠りをしてしまい、この日はついに寝過ごしました。幸い1駅乗り過ごしただけですんだ上に、すぐに反対方向の電車が来て助かりました。
すぐに車掌が来て「次のえきまでだけど。いくら?」
「1ドル75だけど、お前乗り過ごしたのか?」Do you miss the stop?
一瞬意味がわからず、説明し始めたところ、「乗り過ごしたのならお金はいいよ」
いや、やさしい・・・




No.67
1997/12/24(Wed)
クリスマスイブ(NY便り53)

クリスマスイブのこと。

クリスマスイブは会社に子どもを連れてきていい日です。
別室では、風船作ってくれる人やサンタも来ます。
子連れの人はほとんど席にいませんでした。

その上、カジュアルデー+3時で帰ってよい、と仕事をするだけ損な日です。

4時頃、部下が深刻な顔をして、
「5時過ぎまで**さんが仕事終わるの待ってないといけないのです。」
仕方がないので、
「私が残るから帰っていいよ!どうせ、一人だし。」と言いました。

新婚さんと生牡蠣・ロブスター食べた後、電車で帰りましたが、電車はガラガラでした。駅を降りると、なんと、タクシー会社まで休みでした。(市内のイェローキャブは空車だらけでした。)

家に帰ってクリスマスらしいチャンネルを探していると、大統領夫妻がホワイトハウスで子供たちとクリスマスキャロルを歌っていました。
クリントンさんはまぁまぁでしたが、ヒラリー夫人の歌はすごかった!!

すぐにチャンネルを変え、マドリガルをやっているチャンネルにしました。


その後、日本にいる息子と電話で話をしました。




No.68
1997/12/25(Thu)
ジャズ(NY便り54)

クリスマス。

暇なこともあり、ニフティーの別の会議室の人がオフをするという声につられ、ブルーノートにジャズを聞きに行ってきました。

店に入ったところ、ここはどうも初めてのようです。
もっとも、6年前もジャズにはなぜかあまり行かなかったもので。
7時半頃から食事をし、9時(実際は20分頃)からステージ。1時間ほどでステージは終わりです。観光客が多く、日本人も結構いました。

演奏はよかったです。
詳しく知りたい方はホームページをどうぞ!!
http://www.bluenote.net/

少しお酒を飲んでから家に帰ったら12時半でした。




No.69
1997/12/26(Fri)
食べ歩き(NY便り55)

寝不足がたたり、朝からまったく仕事に手が付きません。
今日の夕食は、会社の同僚(日本人)とフランス風ベトナム料理に行きました。
とてもおしゃれな店ですが、店員が広東語を話しているようでした。
頼んだ中で、サイコロステーキに野菜カレーが皆のお気に入りでした。

その後、ケーキ屋、フライドポテト屋とはしごしました。

ケーキ屋は店の外にはみ出すくらい行列になっていました。
ショートケーキ、クリームが豊かな味でおいしかったですが、私にはちょっと量が多かった。

フライドポテト屋はそれ以外のメニューがありません!!
そのかわりトッピグがいろいろあります。
1つ買って5人で少しずつつまみましたが、食べきれませんでした。

家に帰ったら11時半でした。





[戻る]  [1998年1月]  [最新号]

Copyright(C) 1997-2011 タムタム ACCESS_COUNTER