タムタムの『NYから』 1999年9月



No.172
1999/09/06(Mon)
ワシントンDC(NYから−73)

この週末、3連休を利用してワシントンDCに行ってきました。

飛行機で行ったのですが、このチケットを取るところから一苦労でした。インターネットで買ったのですが、1前で110ドルのチケットがあり、結構得意になっていました。

その旨、泊めてもらう友人にメールで連絡します。
すると、友人から、「レイバーデーの休日に来るといってたよね。まぁこの日でもなんとかなるけど」との返事。

おかしいな???
そうです。私が1週間間違えて買っていたのです。

あわてて変更。

ところが、購入はインターネットで大丈夫なのですが、変更は電話のみ。この電話が繋がりません。
やっと繋がって便を変更し終わった頃には1時間たってました。それと手数料75ドル。チケット代も1週間をきっているためか150ドルになっていました。

土曜日から月曜日まで行ってきましたが、毎日、その友人と別の日本人とで1時半まで飲んでいたため、朝は当然起きられません。

結局、日曜日の午後にスミソニアン航空博物館に行っただけでした。
ま、これだけが目的ですから十分に満足です。

ロケットはフロリダの方がよかったですが、飛行機はよかったです。
もちろん、一日では見切れません。

帰りの飛行機、1時間遅れでした。
ちなみに、ワシントン→NY飛行時間が1時間かかりません。




No.173
1999/09/08(Wed)
NY総領事離任パーティー(NYから−74)

NY総領事の離任パーティーで歌ってきました。
7時からの出番ですが、6時半頃には行きましょうとの事でした。
場所は大使公邸、アッパーイーストの高級住宅地です。

ちょっと早めに6時10分頃行ったところ、長蛇の列。
ひとりひとり、金属探知器を通らなければなりません。
周囲に警官が10人くらい。 中にも私服警官が数人。
荷物は全部開けられ、携帯電話はスイッチを入れなければなりません。
私のカバンはチャックが多い上に書類等ガサガサ入っていて、私服警官にはずいぶん迷惑をかけました。

そのあと、荷物を預け、チェックイン?名前の確認です。
これらは領事館の職員らしき人がやっていました。

さっそく、着替えます。

今日は、300人もの人が来ているそうで、中に入るまでに30分近くかかりました。

結局、予定より20分程遅れて演奏。
なんでも、大使(総領事)の挨拶の代りに歌いますとの事でした。

終わって、大使から、「この後は皆さんはお客さんですから、存分に飲み食いしてください」

さて、パーティー会場に行ってみましたが、人が多く、食べ物はほとんどありません。お酒をついでくれる人もなんだか領事館の職員のような・・・・

この公邸のコックさん(日本のどこかのホテルから来ているそうです)は、「300人もの料理は所詮無理です。」と言っていたそうです。
確かにちょっと多すぎます。コックさんも大変ですね。

ほどほどで失礼し、外に食べに行きました。

この公邸、シャンデリアの似合うとても素敵な所でしたが、こんな所で毎日を過ごすのは肩が凝りそうです。




No.174
1999/09/17(Fri)
FLOYDの一日(NYから−75)

昨日のハリケーンですが、私のところは周りの木が倒れることもなく、比較的平穏でした。ただ、地下室に少し水が入り、この週末に新聞紙と箒でかき出しました。(大雨で水がしみこんでくるようなのです)
電車は翌日、土曜ダイヤで結構混雑していました。
一部運休の路線も出たようです。
同僚の中には地下室に水が1フィートとか入った人もいたようです。

私としては、むしろ接近前の方が大変でした。
地下鉄がもうすぐ止まるだの、ここの電車が不通になっただのいろいろなデマがとびまして、インターネットで探そうとしても、混雑してなかなか情報が取れませんでした。
ただ、市長が緊急でない市職員は2時までに帰るように指示を出したそうです。

最初にやったことは**システムの終了する時間です。
これは、いつもと同じ4時半との事でした。

まず、11時に私の下のマネージャーを集め、
1.帰れる人からどんどん帰すように。
2.明日、出社が難しくなるかもしれないので、明日の**の準備をできるだけしておくように
3.帰れなくなった人には会社で宿を手配する(すぐに一杯で取れなくなっていたようですが(^^))との 矛盾した指示を出しました。

一部のセクションでは12時前にほとんどの人が帰りました。

私は、どうせ最後になるのだからと、のんびり食事に出かけます。(^^)
ちょっと雨が小降りになったところで、韓国料理を食べに行きました。

のんびり帰ってくると、半分ほどの人がもう帰っていました。
電車がもうすぐ止まる!とあわてて帰る人もいました。

別のセクションから呼ばれ、明日出社できない場合の対策は?と聞かれ、あわてました。
あわてて、戻って残っている人に話しを聞くと、最初からそのつもりで準備しているとのこと。明日、誰も来れなくても最低限の仕事はまわるよう手配中でした。 ボケでるのは私だけでした。

ほとんどのセクションが2時半には仕事を終え帰ります。

最後に残ったセクション(**)は5時まで残らないといけないとの事。
今度は、システムの人とこれを早くできないか相談です。
なんとかなる事がわかって、その旨指示。
結局、3時半過ぎにこのセクションも帰ることができました。

ほっとした所で、私が乗る電車が4時から週末ダイヤ(それまで昼間ながらラッシュアワーダイヤ)になる事がわかりました。1時間に1本です。(;;)
もう間に合わないので、何人かの最後まで残った同僚と車を呼ぶ事にしました。
車が来るのに30分かかりましたが、来ただけラッキーでしょう。
結局、4時半過ぎに会社を出ました。
既に、一部(川沿いの)のハイウェイは通行止めになっていましたが、道自体は結構すいています。普段40分くらいの所を、1時半20分くらいで着きましたので早い方でしょう。6時には家に着きました。普段より早いです。(^^)
でも、このような時は車は危ないそうですね。木が倒れてきたりするそうです。

家で、作り置きのカレーを食べながらテレビでハリケーン情報を見ていました。
ハリケーン最接近は確か8時ごろでした。

翌日(つまり今日)は、ハリケーン一過。
ただ、電車が土曜ダイヤでちょっと不便でした。




No.175
1999/09/18(Sat)
お祭り(NYから−76)

今日は中華三昧しました。
まず、飲茶、それからお茶をして、最後にテイクアウトのお粥です。
ここまでは中華料理日記にありますが、その後、となりのリトルイタリーのお祭りを見てきました。

年に1回の一番大きなお祭りだそうですが、普段チャイナタウンの陰に隠れて見る影もないリトルイタリー(通りが1本かろうじて残っている)が、今日だけは活況です。 リトルイタリーを超え、何ブロックも屋台が続きます。屋台は、イタリアンソーセージやケーキ、シーフード(何と生のクラムまでありました)、おかし類といったものから、射的、ダーツといったものまであって、楽しいものです。ボールを投げて的に当たると中に座っている人が水に落ちるというものもありました。

びっくりしたことに、ビールやワイン、シャングリラの屋台までありました。NYではお酒を屋外で飲んではいけないはずで、今までも屋台でお酒を売っているのを見たことがありませんでした。

やはり、リトルイタリーのお祭りだから許可を取っているのでしょうか。警官もたくさんいましたが、心なしか楽しそうでした。

一つだけ残念だったのは、お腹がいっぱいで何も試せなかったことです。




No.176
1999/09/24(Fri)
デリ閉鎖(NYから−77)

先日、日替わりのベーグルを作ってくれるデリの話をしましたが、ハリケーンの翌週、突然店を閉めました。非常にショックを受けています。

せっかくあそこまで仕込んだのに・・・・・・!!

ハリケーンの翌日(金曜)は元気に営業していたのですが、翌月曜日からシャッターが降り、中の物(棚等)も火曜日に出され、どうも変です。改装などでは張り紙があるのですが、それもありません。

いろいろな噂が飛び交ってますが、その一つは、市の衛生局に摘発され営業停止になったというもの。

店で働いていいた人たちはどうしているのだろう・・・・・・

仕方がないので、最近は別の店で朝のベーグルを買ってますが、閉まった店では1ドル50セントだったのが、なんと2ドル40セントもします。

最近は、朝のベーグルは2日に1回としています。(;;)




No.177
1999/09/26(Sun)
合宿(NYから−78)

半年の一回の合宿に行ってまいりました。
今回は土曜の朝10時現地集合。家を出たのは6時45分でした。
土曜は夜の9時まで練習。日曜は9時半から夕方4時半まで練習。
合わせて15時間練習したそうです。

いや〜、疲れた。





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