タムタムの『NYから』 1999年12月



No.194
1999/12/03(Fri)
昼休みのコンサート(NYから−94)

とある、昼時。
食事をすませてレストランからの帰り道、ソニービルを通り抜けました。ここの1階はオープンスペースになっており、コーヒーを買ったり弁当を買ったりしてのんびりいている人が結構います。

今日は、何やら音がします。

ベース、ギター、サックスのトリオでジャズをやっていました。
最初は通り抜けるつもりだったのですが、ついつい、コーヒーを買って腰をおろしてしまいました。

サックスがどうも小さいのが目を引きます。
あれはソプラノサックスとでもいうのでしょうか?
あんな小さいのははじめて見ました。

途中でテナーサックスに替えてまだ演奏が続きます。
いや、幸せですね。
ちょっと、昼休み長くとりすぎました。(^^)




No.195
1999/12/04(Sat)
教会コンサート+キャロリング(NYから−95)

今日は、教会でコンサート、その後病院でキャロリングです。
毎年、メンバーの一人が所属する教会とその近くの病院で恒例となっています。車の苦手な私ですので、仲間(実は会社の上司でもある)の車に便乗させてもらいました。

1時半に集合し、コンサートは3時から。
ここでのコンサートももう6回目だそうです。
お客さんは150人くらいでしょうか?ほぼ満席です。

その後レセプション。簡単な料理とお茶がでまして、お客さんと歓談です。

その後、近所の病院へキャロリングへ。
近所と言いましても、車で10分はかかります。
迷子にならないように車を連ねてのろのろ運転。
周りの車には顰蹙でした。(^^)

パートを数人ずつ混ぜ合わせ、2列に並びます。
8階から順番に病室をクリスマスキャロルを歌いながら練り?歩くのです。レパートリーはたいしたことなく、2曲だけ。

これが感動的でした。

病室からでてきてくれる人、病室の中から手を振ってくれる人。表情もなくじっと動かない人(意識はあるのでしょうか?)、仕事中の看護婦さんたちは、皆、手を止めて道を譲ってくれました。新生児室や、ICU、救急も通りました。

その中で特に、印象に残っている風景をいくつか。

子供の病室を回ったときの事。
点滴をつけた子供が病室から出てきてくれたのです。
年の頃が息子が入院した(3才)くらい。
思わず、ぐっとくるものがありました。

次の光景は救急。
さすがに救急だけあって、病室までは入れてもらえませんでした。
そこで、待ち合いで待っている人たちの前で歌いました。
毛布に顔をうずめて表情のない人もいます。
もしかして、迷惑かな?と考えてしまいました。
ところが、終わった瞬間、皆、拍手してくれたのです。
(それにNice to see youと応えたメンバーがいましたが、よかったのかな?)
いや、歌って本当によかったです。
実は、息子の入院(おそらく今回の妻の入院も)でも最初は救急からでしたので、余計に考えるものがありました。

実は、今日はどうしてもキャロリングがしたくて、入院している妻をしりめに、日本行きを一日ずらしていたのですが、本当によかった。

今まで、人にすばらしいとかうらやましい言われてもしょせんは自分の趣味の世界。結局は自己満足という感がありましたが、今日は違いました。
もしかすると、迷惑だった人もいたかもしれません。
実際、電話中の人が何人もいました。
それでも、よかった。
歌、音楽をやっててよかったと思いました。

ボランティアは、ほかでもない、自分のためにするのだという事が実感できました。

その後、アレンジしてくれたメンバーのお宅で、飲めや歌えや!
先日の演奏会のCDも聞きました。

帰ると妻からFAXが入っていました。
そろそろ退院する予定だったのが延びたのこと。
入院原因と別の理由でリンパ腺が腫れているとのことで、心配ながらも、ちょっと安心。

明日は日本に向かいます。




No.196
1999/12/06(Mon)
東京行き、機内トラブル(NYから−96)

今回は東京に向かう機内から書いています。

今回は香港行きをあきらめたので、通常の里帰り便となりました。
里帰り便は座席の希望が出せます。旅行代理店勤務の合唱仲間がアッパーデッキの通路側にリクエストを出しておいてくれました。それにしても、妻の入院で1週間前の変更ができたのも、彼が発券をぎりぎりまで待っていてくれたお陰で、本当に助かりました。

今回は結局、発券は出発3日前となりました。

さて、のんびり乗り込むと、超満員、荷物があふれかえっています。
私の列も3人埋まっていました。 (;;)
それでも下よりはましなそうで、彼に感謝しなきゃ。
とは言っても、自分の列が埋まっていてはあまりメリットありません。(^^)

NY−東京便のうち、毎日運行している方は、エコノミーでもTVが各席ついている最新式のようで、テレビのコマーシャルでもやっていました。

ところが、NIFTYの某フォーラムではどうも評判がよくありません。
特に導入当初はトラブル続きだったようです。

・・・・・・ひとごとではありませんでした。

な、なんと、明かりがつかない!!
最初はついていたのに不思議です。

クレームしたところ、
「実は、逆にライトが点き放しの人もいらっしゃいまして・・・・」
「今専門家を呼びます。」 

??????

初老の男性がやってきました。
症状を聞き(1列全員明かりが点かない)、どこぞへ行ってしまいました。
待ちくたびれた頃、戻ってきて、「直ったはずですが・・・・・・」
ブ〜〜〜〜ッ!!
まだだめです。

この方、メーカーの方じゃないでしょうか?
トラブル対応に日本臭さを感じました。

それから4時間(かもっと長く)、音沙汰ありません。
聞いてみようと呼び出しボタンを押したところ、なんと、これもききませんでした。

食事の時に年配のCAに聞いてみました。
「確か、まだ作業していたような・・・・」
「多分じゃなくて、きちんと教えてください。」

さきほどの年配の男性がまた来てくれました。
「ダメならダメだと報告してください。」
「修理に夢中になって・・・・・・」故障の状況を詳しく説明してくれました。
「確かにおっしゃる通り、これからは報告するようにします。」
と謝って頂きましたが、なんだか釈然としません。

「呼び出しボタンもだめなんですか、ご存知ですか?」
「いや、それは知りませんでした」
「では、スチュワーデスさんに伝えてください」

しばらくして、例の年配のCAが来ました。
「・・・・・・・・(何を言ったかはっきり覚えていないが、謝ってくれた)・・・・・・」
「呼び出しボタンがきかないのはご存知ですか?」
「はっ? そのような事がある(ありえる)事は知っていますが」
「ライトだけじゃなくて呼び出しボタンもきかないのですが、ご存知ありませんか?」
「でも、私どもは、ひんぱんに客席を見ていますので、大丈夫です」

これ以上、話す気がなくなりました。
少なくとも、その前数時間、彼女はその場にいませんでした。
おそらく、休息中だったのでしょう。

某作家が書くとこれも体質になるのでしょうが、なんだか人任せな感じがして、CAに対してとても不愉快でした。
技術屋の下請けにまかせきりという感じがしたのです。
彼はこの飛行機のトラブルすべてに対応しているはずなのです。
彼、個人が今後気を付けますという話ではないと思うのです。

技術士をのせる程トラブルの多いシステムなら、対応ももう少しマニュアル化すればいいのに。

定期的に顧客に報告する、状況をCAと共有する、簡単ですが、効果はあるはずです。仕事柄、トラブルをフィードバックできない人たちにはいらいらします。接客のプロである航空会社がクレーム処理という観点しかないのにはがっかりしました。

それから、30分後、故障は直りました。
例の年配の男性が言いに来てくれました。
私なりに丁寧にお礼を言いました。
こんなに長い時間直らないのはめずらしいそうです。
もしかすると、これもあのCAが言った言葉かもしれません。




No.198
1999/12/07(Tue)
幼稚園の学芸会−東京(NYから−97)

幼稚園の学芸会に行ってきました。
ちなみに、「子供会」という名前です。

今日は年長、年少1クラスずつで、後日、もう1クラスずつやるようです。

まず、年少組。
4グループに分かれ、カスタ・鈴・トライアングル・万歳を、音楽に合わせて順番にします。トライアングルの子がピタリと合っていてびっくりしました。

年長組は劇。背景から小道具、なんと配役まで自分達で決めたそうです。なんだか、小学校みたい。

「おむすびころりん」

おじいさんは3〜4人(途中交代)、おばあさんは3人、なぜかねずみの隣のもぐらさんや、そのまた隣のありさんまでいます。 (^^)
先生は、ナレーションからBGMのテープ、時にはピアノ伴奏と大活躍。

息子はねずみ役(全部で6人くらい?)。
舞台で立つ場所を間違えて仲間に教えてもらったりしていました。
餅つき場面は交代でつくなどなかなか凝ってます。

私は、一番後ろでビデオ役。
いや、親バカの一日でした。




No.199
1999/12/18(Sat)
餅つき−東京(NYから−98)

97話に引き続き、親バカ話を。

息子の幼稚園の餅つきがありました。
これは、父兄の一部が手伝うものですが、餅の「つき手」のお父さんは、あっという間に希望者でうまったそうです。

で、私は「かえし手」他は皆お母さん達。
「つき手」を含めて全員エプロンと頭に被り物をという指示が出ています。私のエプロンのなんとかわいらしい事。フリルがたくさんついています。(この間、帰ったときに機内で買った「ポケモンエプロン」はどうしたんだ!!)ちょっぴり恥ずかしいですが、「つき手の人たちが疲れたらつくのも手伝ってくださいね」と言われ、ともかく始まりました。

事前の注意事項が、「餅がべちゃべちゃになりますので、あまり水を使いすぎないようにしてください」

せっかくですので、1番バッターでやりました。(ちなみに、2つの臼で全部で18だかつきます)

いや、熱いのなんのって〜〜
でも、水を使うなという事で我慢して1回終了。
最初は大失敗。べちゃべちゃです。蒸し過ぎかな?

途中で園長先生(女性)が出てき(つき手、かえし手共)ましたが、上手ですね。やはり年の功とでも言うべきか。
幼稚園の2階のベランダから息子も覗いています。

ふと気がつくと、右手薬指に大きな水脹れが2個所も!!
火傷です。

それからは、水で冷やしながら、最初の杵で練る所、かえし等を手伝いました。人様も食べるものですから、水脹れが破れてかえし手をやる訳にはいきません。そのうち、かえしは何回かついた後でよい、という説が出てきて、後は他のお母さん達に任せました。
お父さん達も疲れてきたようですが、ちょっとこの指でつくのは無理と、最初の練る所だけ参加しました。

途中から園児も参加します。
一人5回ずつついていくのですが、息子も出てきました。
写真を撮ろうと周りを見回しても、外から見ていた妻がいません。
寒いのでどこかへ行ってしまったのでしょう。
あ〜っ、カメラを預けるのじゃなかった!

危なっかしいものの、なんとかつき終わりました。

年少クラスに上手な子が多かったですね。
どうも、先生がよくご存知で、練習していたようです。

終わってお手伝いのお父さん達でつきたてのお餅を食べました。
だんだん皆さん疲れてきて、最後はやれやれ。
全体に蒸し過ぎか、あまりできはよくなかったのですが、いや、つきたての餅はおいしかったですね。

お土産ももらってニコニコ顔で帰りました。
息子もお土産の餅を弁当箱に入れて持って帰りました。

火傷ですが、帰りの飛行機に乗る頃には1つがおさまりました。
NYに着いてもう1つもなんとか破れずにおさまり、ホッとしました。




No.200
1999/12/21(Tue)
救急車!(NYから−99)

NYに帰って出勤初日。
飛行機の中からどうもおなかが痛く、会社に着いた早々、医者の予約をしました。

すると、先ほどまでいた私の前の席の女性がいません。
おかしいなと思っていると、パントリーでうずくまっているとの事。
様子を見に行くと、ちょっとの痛みではなさそうです。

本人に断わって救急車を呼ぶ事にしました。

ところが、なかなか来ません。
とりあえず私が病院についていくことになりました。
予備の携帯電話を持ってきて彼女に渡します。

たぶん、私の医者は無理でしょう。
電話で予約変更しようとしましたが、他の時間は混んでいるようで、後から考えることにしました。

やっと、救急車が来ました。
「ビルの入り口の通りをちゃんと言ってくれないとこまるじゃないか!」

症状等の質問が終わった後、プライベートな質問をするからと、全員、外に出されました。

次にどこの病院がいいか?との質問です。
病院によってかなり質も違うようで注意が必要です。
救急車の所属している病院ではなく、彼女が出産でも利用した別の病院を希望しました。

本人はこの頃にはいたみもずいぶんおさまっているようで、歩くと言っていましたが、有無を言わさず、ストレッチャーへ載せられます。
ここで、再び男性は外に出されました。

エレベーターへ乗る段になってご主人が来たようです。
私も下まで付き添い、ご主人に会社の電話番号を渡して連絡をお願いしました。もちろん、付き添いはご主人です。
こうして救急車に乗るチャンスは消えました。(^^)

病名は伏せますが、どうやら大事ではなく治療も必要なかったようで、会社にも翌日一日休んだだけで出てきました。

私は救急車には乗れませんでしたが、自分の医者には行くことができました。
その話は101話で・・・・




No.202
1999/12/21(Tue)
クリスマス(NYから−100)

こちらNYに帰って早々クリスマスです。
さて、クリスマスには忘れてはならない大事な事があります。

「クリスマスチップ」です。
特に、郵便配達、新聞配達、ゴミ収集、アパートの人はその管理人、ドアマン、ガレージの係員等10人は下りません。

そういえば、日本に来る少し前、床屋で「次はクリスマス前においでね」と言われたのは、チップが少ないといういやみだったのかもしれません。まぁ、いいや。彼は(ロシア系)ユダヤ教だから!

新聞配達は季節になると彼らからクリスマスカードがあり、小切手の送り先が書いてあります。これは気が楽。

日本に帰って妻に教えを請いました。
郵便屋は郵便受けに人数分(3人か4人)、ゴミ屋はゴミ箱のふたの裏に人数分(3人か4人)でした。

金額は全員1人10ドル。
この収入はバカになりません。

ゴミは最近クリーニングの空き箱に入れていたのをこの日だけゴミ箱を出してきました。ともかくなんとか間に合ってホッとしました。

ところで、今年もロックフェラーセンターのクリスマスツリーの前で歌ってきました。

歌いだすと、警備員(警官か?)が来て、「ここはダメだ」と言います。
まぁまぁ、なんて言ってそのまま歌い続けます。
時には周りで聞いているお客さんに助けを求めます。

後はこっちのもの。

今年は去年より好評でした。
クリスマスソングや元気のよい曲ばかりやったせいでしょう。
途中でサンタクロースが飛び入りしてきました。
前で踊って途中でお金を集め始めたので「オイオイ」
もちろん、お客さんはわかっているので、彼に渡すはずがありません。

一度終わって、よかったよかったと言っていたら、またお客さんが集まり始めました。そこで第二部。
結局何回かお客さんが入れ替わり1時間弱歌っていました。
曲目は少なく、クリスマスソング2曲、その他数曲です。

終わった後、警官(警備員?)がやってきて「よかったよ」
さすが、NYです。


実は、私は、下痢を薬で押さえての参加でした。
皆は打ち上げに行きましたが、私は帰りました。




No.201
1999/12/25(Sat)
風邪(NYから101)

入院騒ぎ(99話)の後、私も病院に行きました。
タクシーの中から職場に電話します。
「たいした事じゃないけど病院に行ってきます。」
同僚がびっくりしているようです。
「ちょっとおなかを壊したので医者に行くだけだよ。」
これで納得してもらえました。
「病院」と「医者」で大違いでした。

さて、医者に行ったところ、おなかだけさわられ、「抗生物質は効かないと思うので、この薬を飲んでください。最初に2錠、次に症状がでたら1錠ずつ、1日最大で8錠剤まで。2日後によくならなかったら、また来てください。すぐに抗生物質を出します。明日、もしかえって悪くなった場合も来てください。」

その薬は処方箋のいらないものでした。
説明がきには「最初に2錠、次は症状がでたら1錠剤ずち、1日最大4錠まで、全部で8錠まで」とありました。

少し不安がよぎります。

別れ際、「病気が移るといやだから握手はしないよ。」

下痢は確かにおさまりました。でも、逆におなかの中にガスがたまっている感じで非常に調子が悪く、ヨレヨレになりました。もしかすると、薬の副作用かもしれません。

そして、薬の説明書通り、8錠飲んだ後、元に戻りました。15分に1回。電車に乗るのも一苦労です。

さて、2日後、また医者に行くと、今度は着替えさせられました。
寒いのでズボンをはいていると(おなかが動きますから)叱られ(^^)、先日の医者がまた来ました。
「またお会いするとは残念です。」
こっちも残念だわい!
今度は直腸検査をされ(これが痛い!アグネスチャンのお姉さんに香港でされたのが最初!)、抗生物質を出してもらいました。ただし、条件付きです。

「細菌と寄生虫の検査をしますので、最初の検便が終わるまでは薬を飲まないで下さい。」これまた、拷問です。「それと、残業なんかしてないで、今日はすぐに家に帰って休んでください。」こちらは、看護婦さんの弁。こちらの方が役に立ちます。(^^)

今日の医者は手袋をはめており、握手してくれました。
(もちろん、検査後1枚捨てていました(^^))

検便も今日は簡単。その場で1回、職場に戻って1時間ほどで2回、簡単に取れ、会社を早退しました。その時は本当に調子が悪く、「明日も来れないかもしれない。」医者に寄って検便を出してから家に帰りました。

その日は薬を飲んで6時に寝ました。
夜中の11時半に目が覚めると、なんと、もう治っています!!

こんな事ならもっと早くくれればよいのに −−−−> 抗生物質

おかげで翌日金曜日(クリスマスイブ)元気に会社に行くことができました。

ただ、その週末、薬が効きすぎたのか少々便秘で困りました。




No.203
1999/12/30(Thu)
イリジウム(NYから−102)

いよいよY2Kの準備で泊まり込みです。
といっても私は特にする事もなく、同僚と夕食に行きました。

その同僚、何やら大きな物を持っています。
イリジウムでした。
非常用なんだそうです。

カメラの三脚(しっかりしたもの)を折りたたんだくらいの大きさで、アンテナを取り付けます。電話番号はすべて国番号から、イリジウム同士のときだけ違うそうです。

ところが、これが曲者!!

まず、室内からは電波が届かず通じません。
では、外でよいかというと、これもダメ。
パークアベニューという大通りの真ん中で試してもダメだったそうです。
それも、あまりの寒さに東京とのテストを中止してしまったとか。

同僚曰く、「マンハッタンではセントラルパークの真ん中くらいしか通じないのではないか・・・・」

この大きさでこの通話状況ではビジネスマンにはちょっと使えないような気がします。大草原かアマゾンの奥地くらいしか使えないのかもしれませんね。





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